1.労災補償制度について
労災補償制度とは、労働者が業務上の事由又は通勤によって怪我をしたり、病気になったり、不幸にも亡くなられた場合に必要な保険給付を行い、被災労働者の社会復帰の促進、被災労働者とその遺族の援護、労働災害の防止等を目的とする労働福祉事業を行う総合的な保険制度である (1-4)。労災保険は、「労働者災害補償保険法(以下労災保険法)」にその定義や運用方法が定められている。
我が国の労災保険法は、労働者の過失の有無とは関係なく支給される「無過失補償制度」となっていて、わざと事故を起こさない限り、診療業務中に生じた針刺しなどによる刺傷、血液体液曝露後に発症した肝炎、業務上の事由で感染した結核や麻疹などは、基本的に補償の対象となる。
2.労災保険の適用事業、適用労働者
労災保険は労働者を使用するすべての事業に適用さ
れる。国の直営事業、非現業の中央・地方の官公署及
び船員には、労災保険法の適用はないが、国家公務員、
地方公務員及び船員については、それぞれ独自の制度
によって労災保険なみの保護が与えられている。独立
行政法人、民間病院や診療所などに勤務する労働者は
労災保険、政令指定都市、県や市町村立病院に勤務す
る地方公務員は地方公務員災害補償法により補償が行
われる。
臨時雇、日雇、アルバイト、パートタイマーなどの
雇用形態は関係なく、全ての労働者は業務災害又は通
勤災害が発生したときには、例外なく労災保険給付の
受給権がある。労災保険は職業の種類・雇用形態に関
係なく、賃金を支払われていれば適用される「強制保険」
であり、使用者が労災保険の加入手続きをしているか、
していないかは無関係に適用される。また、労働者に
病院から直接賃金が支払われていない派遣労働者の場
合でも、1) 業務遂行上の指揮・監督関係の存否、2)
時間的拘束性などにより労働基準法上の「労働者性」
の判断がされることがほとんどであり(横浜南労基署
長(旭紙業)事件H8 最高裁)、業務上の負傷・疾病の
ほとんどは、労災保険の適用となる。他、労災保険の
制度を知らなくて、とりあえず健康保険を使って治療
した場合でも、所定の用紙を提出すれば、過去へさか
のぼって労災への切り替えが可能である。
3.労災補償の手続き−労災・公災の申請はすみやかに−
業務上の事由で感染症に罹患した際には、被災者本
人は速やかに労災申請の手続きが必要である。各病院
で定められている手順に従って、インシデントレポー
トや針刺し切創報告とともに、療養給付を受けるため
の所定の様式(療養補償給付請求書、様式第5号)を
作成する。職場の事務担当者が手続きの仕方がわから
ないときは、各都道府県にある労働基準監督署(以下
労基署)に相談するとよい。また、職業感染の発生時
での記録が残っていないと、業務起因性の判断が難し
くなり、その後疾病が発症しても労災認定されにくい
場合もあるため、速やかに職業感染の事実が判明した
時点で、必要書類や感染症の検査等を行う必要がある。
4.療養補償の範囲と取り扱い -官民で補償の範囲が異なる場合があります-
針刺し・血液汚染等の曝露に関する療養補償は、「業
務上の負傷」と「業務上疾病」に分けて考えられている。
表1 には、労災補償に関わる感染症の一般的認定要件
を示した。一般的な認定要件と医学的診断要件が満た
されれば、業務上疾病として取り扱われる。
針刺し切創によって、C型肝炎を発症した医療従事
者を例にとると、針刺しの段階では、「業務上の負傷」
であり、その後にC型肝炎を発症した場合に「業務上
疾病」となり、これは別々に取り扱われるこことにな
る(表2)。
業務上の負傷の取り扱いは、「医師がその必要性を認
めた場合」の判断により、受傷後に行なわれる検査の
回数が決まる。針刺し前からHCVに感染していたこ
とが判明している場合には、受傷直後の処置と検査の
み補償され、その後の検査は含まれない。一方、業務
上疾病が発症した段階では、業務起因性の判断と療養
の範囲がポイントとなる。C型慢性肝炎を発症した場
合も、C型急性肝炎と同様の取り扱いとなる。労災・
公災ともにインターフェロンの使用が補償される。「業
務起因性」に関しては、表1、2 にしたがって医学的
に常識的な判断で行なわれ、「療養の範囲」としては、
C型急性肝炎等の発症が確認された以降の検査・治療
が労災保険で支払われる。平成22年2月に地方公務
員災害補償基金から発行された「病院等における災害
防止対策研修ハンドブックー針刺し切創防止版ー」に
は最新の血液・体液曝露(行政用語では血液汚染事故)
に係る療養補償における取り扱いがまとめられている。
職業感染制御研究会のHPからダウンロードできる。
補償される内容に関しては官民で若干の相違がある
ことに気をつけなければならない(表3、取り扱いの
官民比較、文献5)。また、HBs抗原陽性、HBe抗
原陽性の場合でも、単に皮膚に血液が付着した場合は、
保険給付の対象にはならない。予防的なHBIGの注射、
HBワクチンの接種も対象ではない。また、一部の地
方公務員災害補償基金支部の通知では、「HCV抗体「陽
性」の場合には、「針刺し・切創」「血液・体液曝露」
の場合とも、療養補償の対象とする検査を「初診時の
一回分」に限定する(縫合、消毒、洗浄等の処置は認
める)」との通知もあり、受傷後経過観察の期間は最小
限度と認めているものの、その療養補償の期間や検査
回数に関しては、現在のところその解釈が基金支部に
よって異なる場合がある。詳細は文献を参考にされた
い(6, 7, 8)。
5.そのほか最近の話題
最近、のちに判明した医療従事者のC型肝炎感染が労災補償されたケースがある[8]。これは、病院に勤務する医療従事者(看護師)が感染した「C型肝炎ウイルス」の療養に関して、労災申請を行ったところ、労基署は業務外の判定をしたのを不服として労働保険審査会に申し立てが行われた。労働保険審査会は、業務上の事由によるものと認められるとして、原処分(監督署長は、本件疾病は業務上の事由によるものとは認められないとの判断)を取り消した。詳しくは「針刺しの労災補償に係る事例(職業感染制御研究会のHP)」を参照。
また、HIV汚染血液へのばく露の抗HIV薬内服についても、平成22年9月9日の通達以降、認められるようになった。
参考文献
- 「病院等における災害防止対策研修ハンドブック-針刺し切創防止版-」地方公務員災害補償基金,平成22年2月、p105-114.
- 労働基準法(1947),労働基準法施行規則第1の2第6号「細菌,ウイルス等の病原体による疾病」
- 医療機関での産業保健の手引き.監修相澤好治,編集和田耕治.東京;篠原出版,2006:18-20.
- 吉川 徹.【職業感染とセーフティマネジメント】病院での安全衛生の取り組み 職業感染予防のために知っておくこと.INFECTION CONTROL2004; 13(6):626-628.
- 吉川 徹.針刺しと労災手続き.インフェクションコントロール2002年増刊;セーフティマネジメントのための針刺し対策A to Z(共著).東京;メディカ出版,2002:229-235.
- 労災保険・業務災害及び通勤災害の理論と実際」労働省労働基準局,昭和59年
- 「労災保険の実務加入手続・保険料申告から給付請求まで」厚生労働省労働基準局労災補償部補償課(編集),平成14年5月
- 医療従事者である請求人が感染した「C型肝炎ウイルス」は、業務上の事由によるものと認められるとして、原処分を取り消した事例(平成19年)
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/roudou/07/rousai/txt/26.txt
- 労災保険におけるHIV感染症の取扱いについて
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T100910K0770.pdf(現在はリンク切れ)
- 感染症と労働災害(労務安全情報センター)
http://labor.tank.jp/hoken/nintei/kansensyou-rousainintei.html